多部田ファミリー

なんという、懐かしいタイトルかしら(^^;;
「多部田俊雄氏が、プロトタイプという会社を設立」
あわわ、久しぶりに彼の名前を目にするなんて!!


電波新聞社がその昔に発行していた月刊誌、「月刊マイコン」(タイトルにマイコンという文字が付いているだけで、凄くノスタルジックですよね〜)というのがあったのですが、名前のとおり硬派な雑誌だったんですよね。
それが、この多部田氏を含む数名によるゲーム・レビューが始まってから、妙な雑誌に変わっていって(笑)
当時は、“プレーリードッグ”というPNで私も投稿していた。
懐かしいねぇ。
凄くアクティブだったし、青春18きっぷと大垣夜行で何度、大阪〜東京間を往復したことか。
電波新聞社ビルにも、数回ほど遊びに行った事もあるし。
多部田さんには、1度だけお会いした琴るかな。
でも、松田さんにはお会いした事ない。
鈴木さんは、確か大学卒業して袴姿のままでかけつけた時にお会いして、その後のNECアベニュー時代にPCエンジンのイベントで大阪に来ていた時にも、お会いした事があったっけ。
月刊マイコンの投稿から、そこで知り合った方々が作っていた会報誌にライターの真似事みたいな感じで参加して。自分でも個人誌なんて作ってたっけ。当時は個人のインターネットサービスなんて、無かったもんねぇ。
今も、こうやってホームページ作ったりブログ書いたりするのが好きなのは、この頃の影響が凄くあるんだと思う。

当時、電波新聞社に遊びに行った時、貰ったテレカ。なんか、今も手元にあったり(^^;;
ちなみに左側のイラストが鈴木さん、右側がK子さん(^^;;
K子さんは寿退社後、旦那さんの仕事の関係で海外に行かれたんでしたっけ。
一度もお会いした事が無かったけど、お手紙は貰った事があったなぁ。
凄く懐かしくもあり、少し恥ずかしくもあり、とても活発だった頃の話。

コメント