撤退

そういえば、何か書こうと思っていて忘れていた。
ホンダ、F1から撤退
まぁ、思い出話でも書くか(笑)


私は以前、「F1」好きでした。
他にも「F」と名のつくモータースポーツは幾つかありますが、なぜか「F1」だけが好きでした。他に好きなモータースポーツといえば、パリ・ダカールラリーぐらいだった。
ちょうどTVで見始めた頃が、1986年頃。
そして日本人初のF1ドライバー、中嶋悟氏が登場する。
ロータスホンダで、あのアイルトン・セナとチームメイトで参戦していた頃だった。
その後、セナはマクラーレンに移籍。そして、あの黄金の「無敵のマクラーレンホンダとアイルトン・セナ」という伝説が始まる。
この当時、ホンダはF1参戦の所謂「第二期」で、エンジンのみ供給する形でF1に参戦していた。
そもそも、「F (フォーミュラ)」なスポーツはヨーロッパのスポーツという、ヨーロッパ人の誇りみたいなものがある。まぁ、プライドですね。
そこに日本のホンダが最強エンジンを引っさげてやってきた。
セナ、そしてアラン・プロストとのF1史上最強ともいえるNo.1ドライバーがマクラーレンのシャーシとホンダのエンジンで勝ちまくる。
ヨーロッパ界から見れば、こんな面白くない話はないわけで。
まるで「ホンダ潰し」とも言える、レギュレーション変更もあった事は有名ですよね。特に参戦当時は、ホンダがターボエンジンを使用していた事から、「来季よりターボ禁止」となった事は、あまりにも有名。
でも、その後、ノンターボの「ホンダV10」エンジンが怒濤のごとく勝ちまくるのは、とても痛快な出来事だった。
他にも個性的で面白いドライバーが沢山いた。
ピケにしろマンセルにしろ、、、それぞれが独特の個性があり、そのまま走りに現れていた。
色々な意味で、スポーツとしても面白い時代だったと思う。
1990年代に入ると、日本では妙なF1ブームというか、まあ、セナ・ブームが巻き起こる。TVでも「実はF1好きでした」という感じで、色々なタレントが出て来たりして、観ていても、だんだんツマラナクなって来ていた。
また、マシンのハードウェアの進化と共に、ドライバーの経験とテクニックと度胸よりも、如何にマシンをコンピューター制御して走らせるかという事に重点が置かれ始めて、ドライバーの個性が走りとして見えなくなって来ていた。
例えば、マニュアル車だったものが、オートマ車になっていった事。
オートマ車といっても、中身はコンピューター制御の塊で、コースの特徴や車体の調子等で、レース毎に変更される。
以前のモナコGPの車載カメラを見るとよく分かるのですけど、モナコGPって市街地コースとして有名ですよね。曲がりくねった市街地を、時速200キロ・オーバーでレースするわけです。
もうね、まともな直線なんて、ほとんど無い。
アクセル踏んだかと思えば、直ぐ目の前に鋭角なカーブが待っている、その連続。
マニュアル車だった頃は、ほとんど片手運転ですよ。
残った方の手で、ギア・チェンジしまくりです。
イッキに加速して、ギリギリまでブレーキも我慢して、どーんってギアを落としてブレーキングして、曲がって行くんです。で、またギア上げて加速。
それがオートマになったので、ずーっと両手でハンドル持ってる。
観ていても、つまんねーなーってね。
そして、あの事故ですよ。
1994年、フェラーリの御膝下、イタリアはサンマリノGP。
ええ、衛星生中継で深夜、観てましたよ。
一部始終を。
リアルタイムで。
ウィリアムズに移籍していたアイルトン・セナが、時速200キロでタンブレロコーナーを直進し、コンクリートウォールに激突し大破。

観ていた私も、「え?」って。
「え?、なに?」
今の、セナでしょ?
コーナーに垂直、それも観ていた限り、ノンブレーキで激突したように見えた。。。
1000分1秒を争うプロのドライバーです。
クラッシュする直前、ほとんどの場合、なんらかの回避措置というか、そういう動きを見せるものなのです。
しかし、なんにもなかった。
そのまま、一直線にコーナーに突っ込んでいた、、、ちょっと、ありえない。。。
なんか、もの凄く「ヤバい」って感覚が体中に走った事を覚えてますよ。。。
砂煙りが消えると、大破したシャーシの残骸とコックピット本体。
コックピット内で、黄色いヘルメットがうなだれている。動かない。
コース内は直ぐさまレッド・フラッグ。セーフティーカーが入り、レースは追い抜き禁止に。
そして、一時ストップになった。
ヘリコプターが到着、セナをコックピットから救出し、その場で応急処置が始まる。
空撮映像からも、地面に広がる血だまりが見えるほどでした。。。
そのまま、セナはヘリで病院に搬送。
それから30分か、そこらぐらい経った頃でしょうか。
セナの死亡が伝えられた。
「あぁ、、、」
私は特別、セナのファンでも無かった。
けど、F1界に新風を起こした人物には違い無かった。
前日にも、ラッツェンバーガーが別のコーナーでクラッシュ、死亡するという事故が起きていた。
F1において1回のレースで死亡事故が続けて起こるなんて、前代未聞の出来事だった。
なんだか、一つの時代が終わった感はあった。
もう、色々な意味でF1の魅力を感じなくなっていたしね、、、その後、だんだと観なくなってしまったな。
今回の、「第三期」ホンダF1参戦は、もう全くF1自体を観て無いので、よくわからない。
でも、ここなんか読むと、もう昔のホンダじゃないみたいなんだね。
1980年代のレギュレーションとマシンで、今F1やったら、まともに運転してレース出来るドライバー、何人いるんだろうね。
とりあえず、ホンダにはお疲れ様でした、と。

コメント

  1. Saya より:

    中嶋さんの納豆走行は観てましたよ。
    セナの最後のレースも観てました。あの血の海を観た瞬間、これはダメだって不謹慎ながらも悟ってしまいました。
    そして、わたしもセナが亡くなってから、なんだか面白く無くなって観なくなりましたね。
    マンセルとセナのモナコが一番印象に残ってます。
    全てのコーナーでどうにかしてでもセナを抜こうと仕掛けるマンセルの気迫がすごくて、でも三宅さんが「でも抜けない!ここはモナコ!絶対に抜けない!」って実況されていたのをすごく覚えてます。
    あの時のマンセルの感覚って、どんな感覚だったのでしょうね。
    きっと、死ぬほど楽しかっただろうなって思います。
    わたし、車のことはよく分からないのですけどね。
    人と人が人間としてギリギリのところで競い合ってるのが伝わってきていたから、分からないなりにでもF1を観てられたのかなって思います☆

  2. うにょ303 より:

    > Sayaさん
    そうですよね〜
    車自体がどうのこうのではなくて、そこに参加している人達を観ているのが楽しかった、というのは凄くありますよね。私も車の知識なんて、ありませんから(^^;;
    セナに関する事故で、YouTubeにアップされてる別の動画で、マクラーレン・ホンダのホンダ・プロジェクトリーダーの後藤さんがインタビューを受けているものがありますが、、、
    「チャンピオンドライバーが、チャンピオンカーに乗って、このような事故が起こった事は、運が悪かったね、、、では済まされない」
    、、、って言ってる。
    長年、ホンダF1エンジニアのトップとして現場で活躍していた後藤さんですから、色々と思う事があって、遠回しに当時のF1の流れを批判していたように思えます。
    当時は毎年、最終戦だったオーストラリアGPの「フラッグおじさん」とか(笑)、、、誰だっかなぁ、バックミラー見ない(らしい)ドライバー、、、いっつも誰かを巻き込んでクラッシュしてリタイアするっていう、、、(笑)、、、ヘンテコで面白いドライバーとか人、沢山いたなぁ。

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