日本一周一人旅アーカイブ 1992-1993 vol.00

日本一周一人旅アーカイブ

蒲生四丁目、通称〝がもよん〟にあるCafe&Bar『鐘の音』、二人のオーナーの一人、“おさや”さんが次の夢の実現に向けて、2020年の8月からスーパーカブ50で各地のゲストハウスを巡る日本一周の旅に出発し、SNSで情報発信をしています。
 
実は、私も今まから28年前。
1992年〜1993年に掛けて、トータル2ヶ月間と駆け足ではあるのですが、日本一周一人旅をした経験があります。
その後、身近な知り合いで、同じように日本一周するような方と出会う事も無かったのですが、自宅近所のお店のオーナーさんが日本一周を始めたという事で、SNSからの情報発信が楽しみなのであります。
 
そこで、フト思い出して自分が日本一周していた頃の資料。
写真やら旅先でのパンフレット、当時の時刻表、そして旅日記等々、、、久しぶりに引っ張り出して来て読み返してみたら、「あれ、こんな事してたっけ?」と、可成りの部分が記憶から脱落していて、凄い新鮮な気持ちになったり。
 
1992年といえば、もちろんインターネットもケータイも無い時代です。
パソコンも個人に普及しているどころか、一家に一台さえ無い時代。
 
個人的にはパソコンは使っていましたが、遠く離れた人との情報伝達にパソコンを利用する時代ではありませんでした。
当時は、所謂〝パソコン通信〟という、草の根BBSニフティーサーブのようなサービスが、日本国内で利用できるパソコンを使った通信手段でした。
と言っても、そもそもパソコン自体が普及していなかった時代なので、一部のパソコン・マニアがパソコン通信を利用していたぐらいで、今のようにパソコンを持っていたら、誰でも気軽に情報発信を出来る時代ではありませんでした。
 
私の日本一周の記録は、この手元に残ってる写真や旅日記が唯一です。

ほんの一部です

あー、今だったらスマホで写真や動画を記録しつつ、SNSでリアルタイムに情報も残していけたのにね。
 
そこで、せっかく色々と当時の資料を引っ張り出して来たので、ブログに日本一周の記録をアーカイブとして残しておこうかなと思った次第。
旅日記を全てデジタル化するのも時間が掛かるので、ポイントをまとめて簡単に文字起こしていこうか、という。
写真も改めてスキャンするのも手間過ぎるので、写真をスマホで撮影したもので代用していこうかな、と。
 
ただ記憶が曖昧なのと、28年前にもなるので、もう今は存在しない場所や建物、宿泊施設等もあります。
当時の事を、旅日記をメインにして簡単にまとめて行きますが、もしかすると記憶違いな事を書いてしまう可能性がありますので、ご理解頂ければと思います。

さて。
旅の1日目をスタートする前に、そもそも日本一周一人旅を始める切っ掛けから話を進めます。


元々、電車を使った旅行が好きでした。
その原点は、物心ついた頃から夏休みには、母の実家である長野県伊那市まで遊びに行ってたのですが、大阪から新幹線で豊橋まで、そこから在来線の飯田線で伊那市まで行くルート。
 
そう、鉄道ファンにはお馴染み、日本屈指の秘境ローカル、飯田線
天竜川と寄り添いながら渓谷を走る風景が大好きでした。
単線の為、無人駅等で上下線のすれ違いで待ち合わせ時間にホームへ降りたりすると、なんともいえないワクワクした感覚がありました。
 
更に高校生になってから知り合った友人が決定的でした。
 
その友人は既に、駅で野宿しながら四国一周を経験していて、特に鉄道に詳しかった。話を聞くうちに、自分もやってみたいと思うようになる。
高校3年生になった時、その友人と計3人で青春18きっぷを利用して〝大垣夜行〟(この時が、初の大垣夜行体験となる)に乗り、東京から青森を目指し、最後となる青函連絡船を乗りに行った。帰りは函館から青函トンネル開通初日の寝台特急『日本海』で、大阪まで帰って来た。
 
高校を卒業してから専門学校〜フリーターという感じの生活をしながら、その友人と日本各地へビンボー旅行を重ね、九州一周とか一人旅も色々と行きました。
 
そして最終的に、日本一周へと繋がる最後の〝ダメ押し〟(笑)となったのが、世界的な登山家・冒険家である、故・植村直己氏を知った事でした。
当時は、名前ぐらいを「聞いた事あるなあ?」ぐらいの認識だったのですが、たまたまTVで西田敏行さん主演(植村直己役)映画『植村直己物語』を観て。なんだか凄い人だな、と。
ちょっと興味が湧いて来たので、植村さんの著書を読んでみたんですよね。
 
なんだったかな。。。
 
『青春を山に賭けて』
『北極圏一万二千キロ』
『北極点グリーンランド単独行』
 
この3冊は読んだと思う。
 
まあ、元々から一人旅とか好きでやっていたので、直ぐに魅了されてしまった。
そして、「一万二千キロって、日本一周ぐらいしたら同じ距離になるのかな」と、適当な思いつきが発端となったわけです(笑)
 
ざっくり本州一周ぐらいで大丈夫でしょ、なんて考えて時刻表で距離を出してみたら。とんでもない。一万キロにも、ほど遠い。
 
「えっ?」ってw
 
これ、北海道も四国も九州も、沖縄まで全部入れないと、『北極圏一万二千キロ』の〝一万二千キロ〟なんて、いかないんじゃないの、って。
 
ここで、マジで日本一周しよう、と決めたんです。
 
まだ専門学校に通っていた頃で、思いついたら居ても立っても居られません。
なにより旅費が必要です。1泊2日の旅行とは、ワケが違います。
数日間のビンボーな一人旅は何度もして来ましたが、それが数十日とか、そうなってくると、ある程度のまとまった旅費が必要になりますし、道具を揃えたり情報収集やら、準備が必要です。
 
よせばいいのに専門学校を中退して、即アルバイトを始めます。
そして、まずは大阪より東側、北側を巡ろう、と。そして、次の年に西側、南側を周ろう、と計画を立てます。
こうすれば、ある程度の旅費が貯まったところでスタート出来ますし、一旦終了して、また旅費を稼いで来年スタートが出来ます。
アルバイトとはいえ、休み期間も長期になってしまうので、こうすれば半分で済みます。
 
移動のメインは鉄道、JRです。そこでまず、当時は長距離切符で〝周遊券〟というものがありました。一筆書きのように、後戻りしないよう経由路線を組んで切符を作ります。これが移動本体の切符。
その上で、バスや私鉄等の公共交通機関を利用して、日本一周しよう、という計画。
 
周遊券を組む事で、大まかなルートは決まります。
 
ただ、何処で降りて、何処を巡って(観光等)、何処に泊まるか、それは行き当たりばったりの旅。最悪、駅で野宿でもすれば良いか、という感じです。
 
旅費が貯まり、観光ガイドブックや旅行会社のパンフレットから情報を集め(インターネットがあれば、、、w)、45リットルのザックに荷物を詰め込み、いよいよ出発の日となりました。

これは旅の道中で撮影したものかな、だいぶ荷物が減った後のようだ

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