【月刊マイコン】古本で探したら1,000円超えてたけど懐かしかったので思い出話を書いてみた【My Computer Magazine】

Attention

なんとなく古本で、その昔に発行されていたパソコン情報誌『月刊マイコン』(のちに『My Computer Magazine』と改名)が欲しいなと思ってねえ。

せいぜい数百円ぐらいだろうから、あれば欲しいな、と思って探したら、メルカリとか幾つかの店舗等で見つけたけど、1冊1,000円とか超えてて、おいおい、となってる。
30年く゛らい(正確には27年か)前の月刊情報誌で、そんな価値もないだろうに、足元見た価格設定だなと思って、もちろん1,000円以上も出して買う気にはなれないので(せめて500円以下でしょうに)、そのままスルーしたのですが。

まあ、なのですが。
ちょうどよいので、『月刊マイコン』(通称、月マ)に関する記憶を少し、適当な嘘も交えて(違)書いておこうと思います。
(30年前の話なので、記憶違いはあるかと)


まずは、月マの前に、同じ電波新聞社から発行されていた、月刊誌『マイコンBASICマガジン』(通称、ベーマガ)、ここから話が始まる。

っていうか、凄いよね。
どちらの雑誌も、〝マイコン〟(マイクロコンピューター)って単語を使ってて。
まだ〝パソコン〟(パーソナルコンピューター)って単語が一般的ではなかった時代、という。
 
記憶の中では、1983年にベーマガを買ったかと。
中学校1年ぐらいの頃だと思います。

中学に入ると同時に、パソコンを買ってもらったんですよね。
〝マイコン〟って呼ばれていた時代ですから、一般家庭にパソコンの〝パ〟の字も無い時代だし、仕事上でもパソコンを使う人なんて、凄く少なかった時代じゃないですかね。

特別、裕福な暮らしでもなんでもなかったのですが(市営住宅でしたし)、たまたま運が良かったのは、親戚にSHARP勤めの方がいて、SHARP製品なら社員割引価格で買えたのと、隣に住んでいた方の息子さんがプログラマー関連?(正確には不明、今でいうIT系だったかと)の仕事をしていた事でした。

元々、パソコンに興味を持ち始めた切っ掛けは、小学生時代の仲良し同級生だった光永くんが、パソコンのパンフレットを見せてくれたのが最初でした。なんだろう、このテレビ画面とボタンがいっぱいの機械は?、という、もうそこから。
で、二人で謎の機械、でも未来感あるワクワクした気持ちで、どんどん盛り上がって、欲しいよねー、って。

そんな頃、「パソコンとかいう、わけのわからないものを欲しいって困ってる」みたいな話を、母が隣の方に世間話したところ、そこのプログラマーやっていた息子さんが、「小学生で興味あるって凄いよ」みたいに言ってもらえて、だったらSHARPのパソコンなら買ってあげるか、みたいな流れになった。

そして中学生になったタイミングで購入したのが、SHARP MZ-1200でした。
MZシリーズですよ、MZ。

でも、今のようにソフトウェアが無いんですよ。
「自分でプログラム組んで、作れ」が、当たり前の時代なんです。
電源立ち上げても、電卓にすらならないんですよ。
なんにも出来ない。カーソルがチカチカと点滅してるだけ。
本当に何一つ出来ない、ただの電気使う箱。
電卓にしたければ、電卓のプログラムを自分で作らないといけない、という。

なので、とりあえず独学でプログラミングの勉強を始めるわけです。
その時、何か勉強で使えるものが無いかな、と探して見つけたのが、マイコンBASICマガジンこと〝ベーマガ〟でした。

ベーマガは、一般の方が実用系からゲーム系まで、色々な機種のプログラムを投稿し掲載(PDFで1984年12月号〜1994年12月号のPDFがあります)していた雑誌で、私が手に入れたMZ-1200のプログラムも毎月と掲載されていました。
そこで、とりあえずMZ-1200用に書かれたプログラムの〝打ち込み〟を始めました。

思えば、中学生の頃から〝打ち込み〟やってんだなあ(違)

もう一つ、『パソコンサンデー』というTV番組があって、、、伝説の番組ですよね(笑)
これも、ほどなく観はじめて教則本みたいなものも出ていたので、それも買って。
プログラムとかパソコンの知識を増やしていきました。

そうこうしているうちに、BASICでプログラムを組む事も、なんとなく理解出来て、双六ゲームとかプロレスゲームを自分で作った記憶があります。

余談ですが、ベーマガで途中から音楽系プログラムも掲載されるようになって、初期の頃によく投稿していた方にYK-2さんという方がいました。そうです、のちに日本ファルコムでXANADUやYsの音楽を手掛ける事になる、古代祐三さん、その人。この頃、高校生だったので、凄いよね、ホント。BASICでFM音源やPSGの音色作成までやってるんだから。

この辺りが、私のシンセサイザーサウンドの原風景になってます。

さて。。。
毎月と購入していたベーマガですが、世の中ではファミコンが登場したり、パソコンという言葉の普及と共に、特にゲーム系を中心にパソコンのソフトウェアも世に出るようになってきました。

そう、自分で作る必要が無くなって来たんですね(笑)

面倒くさがりの私は、「こりゃいいや」と、直ぐに完成されたソフトウェア購入に走って、プログラミングの勉強はBASICそこそこにマシン語を少しかじったぐらいで終わりました。
(あのままプログラミングをしていたら、全く違う人生になったかもなあ)

それ以降、ベーマガは単なる読み物的な雑誌として購入を続けていました。
実際、ゲーム関連のソフトが増えたので、その手のレビュー記事も増えて、プログラミングしなくても、そこそこ面白い雑誌でした。山下章さんのような、のちにゲーム系レビュー記事で名を馳せる方が出てきたのも、この頃ですよね。

そして、その頃になると、ベーマガの読者コーナーのようなベージに、アンケートハガキを使って、投稿するようになるんですね。もちろん、そうそう採用される事はありませんでしたが。
記憶では2回ぐらい本名で、各ページ下にあった【OFコーナー】と呼ばれた、2,3行のテキスト欄で掲載された事がありました。

まさに、今でいうtwitterみたいな限られた文字数があって、そこに自分の書いた事に対して、編集部の方がコメントしてくれる、というものでした。

そして、何時しかベーマガを購入しなくなり、時が経ち、2003年に休刊となりました。


で。

えらい前置きが長くなりましたが、、、
ここから本題の『月刊マイコン(1986年6月号のPDF)』(通称、月マ)の話。

ベーマガから興味が薄らいでいた頃、同じ出版社なので知っていたのですが、内容が硬派で開発者向けにスポットを当てていた、月マをなんとなく購入するんですね。
ほとんど書いてる内容は理解出来ないんですけども(笑)

たぶん、パソコン初心者はベーマガで、それで物足りなくなったら月マ、みたいな位置付けだったのかな、と。

でも、こう、なんていうか。
まさに〝業界誌〟的な内容だったので、優越感だけある、みたいな(笑)
、、、何時頃に購入したんだろう、、、全く覚えてない。
高校生以上だと思うんですけど。。。

既に、後の某ファミリー系(爆)の記事とかはあったと思いますが、最初の頃はあまり記憶に無いので、それほど目立たない存在だったのかも?

買い始めてしばらくして、ベーマガの時と同じように、月マにも読者投稿コーナーがあって、各ページ下に似たような【マイコンルーム】(あれ、最初からこの名前でしたっけ?)というのがあり、投稿を始めるんですね。

当時はベーマガの倍以上のページ数があるのと、硬派な雑誌だったので、そんなtwitterみたいな戯言を投稿して、というような読者も少なかったようで(笑)、意外と掲載される確率も高く、所謂〝常連さん〟のような人達も当時からいました。

上記リンク先に置いてある、1986年6月号、、、この時点で購入していたか微妙なのですが、そういえば最初の頃は【マイコンルーム】のK子さん、全ての投稿にコメントはされてなかったですよね。

私も雑誌に付属するアンケートハガキで毎月と送っていたのですが、エスカレートしていくわけですよ。
〝常連さん〟って、なぜか毎月、何個も掲載されていたりするんでよ。
っていうことは、、、?

私もアンケートハガキを真似たものを〝プリントゴッコ〟で作成して(笑)、月に3,4枚とか送るようになったんです。もはや、アンケートでもなんでもない(爆)
それで、自分も毎月2つ3つと掲載されるようになっていきました。

硬派な開発者向けパソコン雑誌なのですが、、、(笑)

そんな硬派な雑誌が、徐々にあらぬ方向に進み始めます。

どういう形で始まったのか記憶にないのですが、、、
月マでもゲーム系のレビュー系のページが生まれるんですね。

そんな記事を担当していた人の中に、例のアノ人がいたわけですw

知る人ぞ知る、多部田俊雄さん。

ゲームのレビューも、多部田さんの超個人的目線と微妙な毒舌(笑)のバランスが、読み物として面白くて、他のパソコン系雑誌のゲームのレビュー記事とは、全く雰囲気の違うものでした。
時には、ゲームとは全く関係ない話でベージが終わってしまう回もありましたよね(爆)

そして、多部田さんと共に大学時代からの知り合いであった松田浩二さん、そして鈴木富美子さんの三人トリオ。更に数名の方が記事を書いたりイラストを描いたりしていましたが、のちに〝多部田ファミリー〟なんて呼ばれたりしていましたよね。

そんな面白い人達が集まってしまった(笑)ので、ゲーム系のレビュー・コーナーも読者参加型のような形になっていって、とうとう、、、今となっては、なんの意味があったのか不明なんですが、各都道府県の〝支部長〟を決めて云々みたいな盛り上がりになって。

あれ、この雑誌って、硬派なパソコンとか開発者向け雑誌じゃなかったけ?、という(笑)

更に、支部長はじめ読者でオフ会やろう、みたいな話になって、まだSNSも、、、というかケータイもインターネットも無い時代に、この月マの読者コーナーを媒体にして、よくもまあ、集まったり出来たもんですよね、凄いといえば凄い。

私も、たぶん2回ぐらいオフ会みたいなものに参加してると思う。
青春18きっぷと大垣夜行という、テッパンでw
(そのうちの1回は、確か多部田さんも現れて、鈴木さんが大学卒業とかの袴姿で参加していた記憶がw)

そんなこんなで、当時の月マ読者さんとは、色々と繋がってましたよね。
手紙とか年賀状のやり取りをしていた方もいましたし、、、メールなんて無い時代ですからね。
(今でも数名の方とは、SNS上でも繋がっているので不思議なものです)

探してみたら、まだ当時の年賀状とか数枚と残ってました(爆)

電波新聞社自体にも、たぶん2,3回ぐらいは訪問した事があって、忙しい中、編集部の方が対応して下さいました。
ちょうど日本一周中にも立ち寄っていて、のちにお土産と写真を送ったら、その写真が月マの読者コーナーに掲載されるという、、、こともありましたねえ。。。1992年の後半の号だったと思うので、500円ぐらいなら手に入れたいw
ちなみに、日本一周中にも月マ繋がりの方々と出会っていたりします。

その頃だったかなあ、【マイコンルーム】を担当されていた、謎の女性編集部員K子さんから、お葉書きを頂いたんですよね。お土産のお礼の葉書だったと思います。当時、K子さんは実在の人物なのか議論もあったのですがw、「おお、ご本人から?!」って驚いたのですが、、、

実は今から10年ほど前、2012年に某アレ系掲示板の某ソレ系スレに、なんと鈴木富美子さんご本人が書き込みをしていて、それによると、最初の頃は実際に〝K子〟さん役の編集部の方がいたそうですが、退社されてしまった後は、その鈴木さんがK子さん役でコメントを返信していたそうなので、たぶんこの葉鍵は、鈴木さんが書いて下さったのでしょう。
(ちなみに手書きでした)

その後、【マイコンルーム】のK子さんは、どのタイミングだったか確か、「結婚して、旦那さんの仕事の関係で海外へ」みたいな話で退社します、というお知らせがあったと記憶していて、それ以降からは神倉さんという編集部の方が【マイコンルーム】を担当されたのですが、、、
でも2012年の鈴木さんの話が事実だと、既にオリジナルのK子さん(笑)は、随分前に退社されている事になるので、K子さん役をしていた鈴木さんから、その神倉さんへバトンタッチする為の演出だったのか、という感じだったのでしょうかねえ。

新しく【マイコンルーム】を担当されていた神倉さんとは、電波新聞社への訪問でもお会いした事があったのと、その後、別の出版会社に転職されて、そちらにもお邪魔させて頂いた記憶がありますねえ。
あと、なぜか2,3年ほど、年賀状のやり取りをしていました。

そんなこんなで月マも時代の流れで『My Computer Magazine』と改名しましたが、全盛期の半分程度のページ数になってしまい、とうとう1995年に休刊する事に。

Windows95が出る前だったかな。。。
時代の流れを感じます。

その後。

多部田さん、プログラマーの顔も持っていて、月マに関わっていた頃からゲーム開発も手掛けていて、特に移植モノが多かったですよね。デーモンクリスタルとか遊んでいた記憶があります。
で、今はなき〝NECアベニュー〟という会社で、主にPCエンジンのゲーム開発やらプロデュースをされる事になるんですが、この時、広報で鈴木さんも入られるんですよね。

で、何時頃だったかなあ。
確か、大阪・なんば、高島屋の中でゲーム関連の展示会?みたいなイベントがあって、NECアベニューのブースもあるみたいだったので、遊びに行ってみたんですよ。

そしたら、どうにも見覚えのある方が、、、
あれは、、、鈴木富美子さんでは?、と。

恐る恐るお声掛けしてみたら、鈴木さんも「なんか見た記憶の人が」という感じで(笑)

これを最後に、月マ関連の人と直接にお会いした事は、、、無いような記憶。
(うーん、たぶん。。。)

まあ、なんていうか、青春時代、みたいな頃の話ですし、ケータイもインターネットも無い時代に、読者同士の繋がりで盛り上がってオフ会したり、という、今ではもっと気楽に出来そうな事を、凄いエネルギーでやっていたんだなあ、という。

みなさん、お元気ですかねえ。
ほぼ全員、50歳代以上のはずだしね。

最後に、当時の月マのベンネームは、、、

プレーリードッグちゃん

でした(爆)

P.S.
2000年を越えても発行していたベーマガは、休刊後も関連イベントあったりで、過去の資料や情報もネットに沢山とあるのですが、月マはWindows95が発売される前に休刊になってしまったので、インターネットが普及する以前という事もあって、なかなかネット上に、このブログ記事と同じ〝個人の記憶〟以上の、資料的情報が少ないのが残念ですね。。。

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