Le Placard Kyoto!!で感じた事

先日のLe Placard Kyoto!!に出演させて頂き、色々なアイディアを「音」に変換して聴かせてくれたアーティストのみなさんの存在は、凄く刺激を受けてました。
簡単なレポ日記は、こちらにアップしてあります。
このPlacardというイベントは、スピーカーが無くアーティストもお客さんも、全員ヘッドフォンで音を聴くという、ちょっと変わったイベントでした。しかし、よくよく考えてみると、昔はWalkman、今はiPodという感じで、個人レベルで音楽を聴く時は、普段からヘッドフォンで聴く機会も多いわけですから、それをライブに持ち込んだというアイディアは全然OKという感じで、違和感も無く普通に楽しむ事が出来ました。
アーティスト側からしてみると、微妙な音の変化や細かい仕込みをしても、それらを聴き取ってもらえるという利点があると思います。ヘッドフォンだからこそ成立するような音の聴かせ方もあると思います。
また、お客さんも純粋に「音」に耳を傾ける事が出来ます。
逆に言えば、派手な照明も無ければ爆音が体を包み込む事も無いわけで、音のごまかしが効かないというプレッシャーがあると思います。
そんな感じで、じっくり音に耳を傾けていて、フト感じた事があったので、ツラツラと書いてみようと思います。特に、こういう「電子音楽」というジャンル上での事なのですが、、、
それは、「単体の固有楽器の存在意味」です。


こと「電子音楽」の世界は、、、まぁ、可成りルールが曖昧だと思うんですね。
もちろん、音楽の常識なんて考えなくても良いわけですから、そういう意味では非常に自由です。
それまで単体の楽器でしか出せないような音の数々が、パソコンのハードウェアの性能が上がった事により、その上で動くソフトウェアで簡単に再現が可能な時代になって来たわけですよね。更に突き進んで、今までは考えられなかったような条件を設定して、それを「音」に変換するという事も可能になった。
今回のPlacard Kyoto!!でも、ラップトップPC(ノートパソコン)だけを使ってライブをされる方が多数いました。
この事自体は、以前から電子音楽において主流の一つになって来てますし、私もラップトップPCを使ったライブを何回かやった事もあるので、特別に珍しい事ではありません。
ただ、今回は「ヘッドフォンで聴く」という条件があって、じっくりと音に耳を傾けるという事で、妙な違和感も感じたのです。
ラップトップPCだけでライブをやっている間、、、パフォーマンスしているアーティスト、ラップトップPC、そして音。この繋がりが薄く感じたんですよね、、、上手く言葉で表現できないのですけど、、、目の前にアーティストとラップトップPCがあるんだけど、何処かラジオを聴いている感覚に近いというか、、、ね。目の前で「音」が鳴ってないというか。。。
そして、ラップトップPCを使うと、極端な事を言えば「なんでも」出来てしまう。
音を作る「入口」は広大なんですよね、ありとあらゆるアイディアを実現できる四次元ポケットみたいなもので。
でも、実際にそれを使うのは人間で、ライブという限られた時間や空間でパフォーマンスする事になる。すると、どうしても広大な「入口」から、幾つか選択をして「出口」まで持っていく事になると思うんですね。
どれを選択し、どんなふうに加工するか、、、というのがアーティストの個性になってくるんだろうと思うんです。
でも、広大だった「入口」から、結局「出口」は狭まった形でしか出て来れないように感じるのです。
ラップトップPCを使えば、とにかく自由度が大きい高いと、、、でも、「音」として耳に伝わった時、その自由度を超えた「音」になっていない。。。「音」が飛躍してないように感じたのです。
とあるソフトウェアを使った時、そのソフトウェアの自由度を超えた「音」が出せるのだろうか、、、という疑問なんです。
こういう疑問というか気持ちにさせてくれたのが、西田彩さんのライブでした。
彼女はギターと多数のエフェクターを使用していました。環境音をバックで流すのに、iPodを使用。
ギターとエフェクターという組み合わせは、とても在り来たりです。更にギターが出来る事、出せる音、その自由度はラップトップPCより遥かに狭いです。どんなに頑張ってもギタ−はギタ−の音しか出ません。また個々のエフェクターも「リバーブ」とか「ディレイ」とか、1つ1つは在り来たりで珍しいものじゃないですし、1つ1,2機能程度の機械です。自由度という意味では、これもラップトップPCの足下にも及びません。
音を作る「入口」が凄く狭いんです。
しかし、ヘッドフォンから聴こえて来る音は、おおよそギターというイメージからかけ離れた電子音なのです。
音の「出口」が広大なんです。
ラップトップPCとは、全く逆の発想というか、そういうインパクトを強く感じたのです。
狭い入口を、どうやって大きな出口にしていくか、、、
音が「飛躍」していました。
そして、アーティストがいて、ギターがある。
ギターを弾いている。
音の繋がりを感じれるのです、目の前で音が鳴ってるんです。
電子音楽の世界でも、「単体の固有楽器」を使う意味、理由っていうのが、なんとなく見えた気がしました。
個人的に色々と考えさせられたイベントでした。
ただ、もちろん、ラップトップPCを使う事を否定しているわけじゃないですよ。
私も使っていますし、ラップトップPCとモジュラーという組み合わせでも、またライブをやってみたいですし。
違う条件の下では、ラップトップPCだけでもやってみたいですしね。
曲作りでも、ラップトップPCだけで作る事の方が多いですし(笑)
電子音楽というジャンルは、最初に書いたとおり、凄く自由なんだけど、ルールも曖昧。
その「曖昧」なままでやってしまうと、きっと駄目なんだろうなって。
曖昧は「自由」じゃないし、自由だから「曖昧」ってわけでもない。
ライブにも本格的にラップトップPCを導入する予定って言う西田彩さんが、「でも、自由になるために制限をつけないとねー」って話をしていたのが、凄く印象的でした。
制限があるほど自由になれる、と。
電子音楽、これからもっと細分化されて複雑になって行くと思いますよ。
新しいジャンルなのに、実に奥が深い、楽しみです!!

コメント

  1. Saya より:

    ありがとうございます!
    わたしの意図してる所を理解して下さって嬉しいです(^^)
    てか、うにょさんって言葉にまとめるのが上手ですねー。
    わたしがぼんやり考えていることを、的確に表現してくださってて、すごいなーって思いました☆

  2. うにょ303 より:

    お疲れさまでした。
    いえいえ、なんとなく書いただけなので、、、(^^;;
    色々なものを排除して、純粋にヘッドフォンで聴くって行為のおかげか、なんだか色々と思ったり考えたり出来るライブ・イベントだったなぁ、と思います。

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