吉田修一
『国宝』
(朝日新聞出版)
コトの発端は妻の、「国宝を観に行きたい」という突然の話から。
「はあ?、国宝?」
もちろん、何の事だかサッパリわかりません。せいぜい、日本の何かの〝国宝〟?。なにそれ、そんな映画あるの、と。
ほどなく読み進めていた本が読み終わったので、さて、次は何を読もうかと本屋に立ち寄ったら、この『国宝』の原作が、ドーンっと店舗の目立つところに平置きされていて、「ははぁ、これが国宝か」と。
で、まあ、出会い頭だし、とりあえず読んでみるかと、と。
読み始めて、主人公の喜久雄がいよいよ大阪で歌舞伎の修行に、というタイミングで映画を観に行くことになってしまった。
ありゃ、原作を読み始めた初番なのに、これでは先にネタバレしてしまうな、と思いつつも映画館へ。
うん、歌舞伎と舞台という映像美と、喜久雄と俊介の二人が歌舞伎という世界に翻弄されつつも自身の人生を切り開いて行く展開が、3時間ちかい上映時間では足りないと思うぐらいのスピード感で駆け抜けていく。
まだ原作の小説の前半ぐらいしか読んでいない状態でしたけど、すっかり原作云々という事は忘れて、映画が創り出す『国宝』の世界に浸ってしまいました。
そして、思うんです。
「徳ちゃん、可哀そう」と(笑)
さて、原作。
上下巻と、それなりのボリュームはありますが、文体も読みやすくて(語り口調の書き方が独特なので、好き嫌いが分かれそうですが)、けっこういっきに読み終えた感じです。


結論から言うと、映画はとても素晴らしかったのですが、原作は映画を圧倒的に上回った〝凄み〟があって、最後まで読み終えた瞬間、「原作、ヤバい」っていう感想になった(笑)
また、映画は基本的に原作の上巻をベースにして、下巻のエピソードを少し混ぜつつ脚本にしている雰囲気があるので、原作の下巻の話の大半は映画には出て来ません。
特に師匠であり父親である半二郎の亡き後、喜久雄と俊介がどのように一度落ちたドン底から這い上がって、それぞれの立場で復活を遂げて行くのか。という描写は下巻で描かれるので映画だと、その辺りはサラッとしか出てこないので、この二人のドン底っぷりと苦悩は原作でしか知り得る事が出来ない。
だからこそ、そこからの復活劇も下巻の山場となっていくし、俊介が死を迎えるシーンも原作の方が二人の関係性を強く感じさせる場面になっているし、最後、一人残された喜久雄が国宝と、更にその先の〝極み〟へ昇りつめるラストは圧巻でした。
映画を先に観てしまっていましたが、問答無用な感じで原作に圧倒されましたね。
映画を観て好きになった方は、原作はマストですよ。
絶対に読むべき。
そして、原作はもちろん、映画も観てないという方。
私のような、歌舞伎の事を全く知らない人間でも、フルスロットルで楽しめます。そこは御安心を。
そして、みなさん思うはずなんです、、、
「徳ちゃん、可哀そう」と(笑)
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