日本一周一人旅アーカイブ 1992-1993 vol.18

日本一周一人旅アーカイブ

今から28年前。1992年〜1993年に掛けて、約2ヶ月間の駆け足で巡った日本一周一人旅を、当時の旅日記と残っていた資料、そして遠くなった記憶を頼りにアーカイブ化していきます。
ただ、さすがに記憶が曖昧なのと、28年前にもなるので、もう今は存在しない場所や建物、宿泊施設。また廃止された路線等もあるかと思います。また地図を載せている場合も、正確な移動ルート等を現していません。
アップしていく写真も、今から28年前のプリントをスマホで撮影しています。現在とは様子も変化している事でしょう。
このアーカイブ化していく情報は、全て28年前の情報となります。
当時の事を、旅日記をメインにして簡単にまとめて行きますが、もしかすると記憶違いな事を書いてしまう可能性がありますので、ご理解頂ければと思います。

1992年9月1日(火) / 晴れ

さあ、今日こそ礼文島を出発する日。
本当は、まだまだずっと礼文島、この〝民宿 岬しれとこ〟に居たいなあ、そんな気持ちが強かった。
ヘルパーの堀さんがバイクで北海道を巡っている最中に、礼文島へ渡り、この宿と出会って住み込みで働くようになった気持ちが分かるような気がしました。
 
しかし、旅を続けるために先へ進まなくちゃいけません。
 
礼文島に来てから雨も降らず、それなりに天気は良かったものの、目の前にある利尻島の利尻山の麓がいつも雲に包まれている感じだったのですが、今日は完全に視界が開けて、まさに“利尻富士”にふさわしい綺麗な山の全貌が目に飛び込んできました。

利尻富士

1便のフェリーで君島さんが帰られるので見送りに行って、そのままノジマさんとノグチさんは2時間コースへ。
宿に帰ってくると、柴崎さんが宿の前の海辺に寝っ転がっていて、凄い気持ち良さそうだった。その後、柴崎さんは自転車でスコトン岬へ。
 
お昼に、おにぎりを食べて2便のフェリーでいよいよ、サイトウさん、私が礼文島を離れる。
 
今度は見送られる番だ。
 
テープを買って船に入り、荷物を置いて外へ。
 
大将がトランペットを吹いている。
そしてギターに持ち替えて、歌いだした。
堀さん、柴田さん、ノジマさん、オカドさん達も集まってくれた。

ちょっと切ない、みんなとの別れ

フェリーが岸壁を離れ、テープが切れていく。
 
さらば、礼文!!
本当に楽しかった。
一人旅でなかったら、こんな体験は出来なかっただろう。
また何時か、礼文島に、岬しれとこに戻ってこよう!!

礼文島が小さくなっていく、、、

帰りのフェリーは、ほぼ揺れることもなく稚内まで快適でした。
 
稚内に到着して、これから乗る電車は寝台急行『利尻』。
出発まで、まだまだ時間はあります。
サイトウさんも『利尻』に乗るそうなのですが、一旦サイトウさんと別れて、稚内で1泊した〝旅館さいはて〟に顔を出してみました。
この旅館に宿泊していなければ、礼文島で岬しれとこに出会う事は無かったかもしれない。
女将さんは私の事を覚えていてくれて、とうもろこしをご馳走になった。

旅館さいはてを後にして、バスで宗谷岬へ向かいます
一般の人が常時、普通に訪れる事が出来る日本領土内で最北の地、それが宗谷岬です。
 
バスで40分ぐらいで宗谷岬に到着。
そこそこ時間も掛かりますね。

宗谷岬

岬というと、何時も断崖絶壁をイメージしてしまうのですが、宗谷岬は浜辺のように平たい海岸線をコンクリートで固めて、モニュメントが建っていました。海と反対側は丘のようになっていて、登るととても見晴らしがいい。
サハリンや沖縄・石垣島等、距離を示した道標があった。

来年、沖縄・石垣へ行く事になるのだ

稚内に戻って晩御飯を食べて、再び北海道の旅がスタートです。
私は既に周遊券で乗車券は買っている状態だったので、別途B寝台席の切符を購入した。
22時03分、稚内を寝台急行『利尻』で出発。

寝台急行『利尻』

寝台急行『利尻』は、2007年9月末をもって廃止されました。

明日の朝、6時には札幌だ。
宗谷岬へ行く前に別れたサイトウさんも乗っているはずだ。

移動距離 : 約523km
礼文島 〜 稚内駅〜 宗谷岬 〜 稚内駅〜 札幌駅

注意 : Googleマップ仕様の関係上、下車等せず通過した地点も記載したルートになっています。また、当時の正確な移動ルートを再現しているものでもありません。〝大凡〟のルートになります。


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