預ける?

賛否両論の中でスタートした慈恵病院の“こうのとりのゆりかご”
ここの病院って、キリスト教系の病院なんでしょうか。
理事長の意見には賛成したい気持ちはありますし、そもそも、親を選べない産まれてきた赤ちゃんには、なんの罪も無いわけで、それをどうにかしようという事ですから、国としては難色を示していた中で熊本県は思い切った判断をしたなぁ、と。
これの良かったなと思う事は、設置・運用にあたって多くの問題が有る、またはこれから生じてくるという中で、先に話題になり議論になったでしょう。公になった事が良かったと思うんですよ。その上で熊本県がGoサインを出したわけだから、ある程度は行政側もサポートする考えがあるのだろうと思うんです。
病院側の勝手な判断で進めていたら、即刻中止になっていた気がします。
ただ、病院側は「赤ちゃんを預かる」という意識で当然なんですけど、母親側が「預ける」という認識は、どうなのかなと思ってみたりします。本当に預ける気持ちがあるのなら、将来は必ず引き取るべきだと思うし。
それこそ、二度と会うつもりさえ無いのなら、はっきりと「捨てた」と認識すべきだと。
「預ける」という言葉で、「捨てる」という言葉の代用になってはダメなんじゃないのかなぁ。。。
それに比べて、、、


代理出産問題でも、先に公になって議論が進められていたら、将来、特例処置で一部の条件の人達に、代理出産という道が開けたかもしれないのに、それは遠のいてしまったような感じがします。
病気腎移植問題も、それでしか道が無いという多くの患者の光を遮ってしまった。
ドミノ移植等で、限られた条件下で元の患者から摘出した臓器を、別の患者に移植するという場合はあるそうですが、ヘタすればそういう特殊な条件下でも否定的な方向になりかねない。
土台となるルールや約束事を無視して、勝手な判断をする人がいたりしてトラブルメーカーになってしまったりするものですが、そういう人達を観ていると、「自分の判断が正しい」って言えるほどの“器”のある人じゃなかったりするんですよね。
まあ、なんにしても、この“こうのとりのゆりかご”は利用されないのがベストだろうし、利用するにしても慈恵病院の意に反した事をしてほしく無いですよね。

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