スタジオジブリ 宮﨑 駿 監督作品『君たちはどう生きるか』観て来ました

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ほぼ、予備知識無しで観て来ました。
せいぜい、テーマ曲が「米津玄師さんらしい」、声優で「木村拓哉さんが出ているらしい」、そしてあの鳥人間?のイラスト1枚ぐらい。

と言いますか、そもそも公式サイトすら存在せず、スタジオジブリのホームページ上で、唯一?辿り着けるページが、たったこれだけ。映画公開後においても、何一つ情報の更新すらしていない。

事前に情報も一切出さず、プロモーションもしない。映画公開がスタートしても、公開時にパンフレットも存在せず、未だ関連グッズも何一つない。
そういえば、最後のスタッフロールで悪の権化とも言える、〝なんたら製作実行委員会〟みたいなテロップも無かったように思う。

それでいて「公開4日間で観客動員135万人」、その初動4日間だけを見れば「千と千尋の神隠し超え」との事で、スタートは大成功と言えるのでしょう。

まあ、スタジオジブリと宮崎駿監督という組み合わせだからこそ、こういう離れ業が出来るんでしょうね。


君たちはどう生きるか

さて、ここから個人的な感想っぽい事を、思いつくままに適当に書く。
ネタバレ的な事もあるかと思いますので、まだ観てない方は、ここで、とっととこのページを閉じてしまいなさい(笑)

とりあえず観て良かったし、2時間ちょいの時間を返せ!!、みたいな気持ちにもなりませんでしたが、観終わった後に、例えば〝感動〟とか〝心揺り動かされる〟とか、そういう衝動的な感情も起こらなかったですね。観る前と観終わった後でも、さほど淡々とした感情というか、観ている最中も、〝手に汗握る〟とか、そんな感覚にもならなかったです。

でも、なんて言うのかな。ちょっと懐かしいというか、宮崎駿監督初期の頃の『冒険活劇』を観れた感覚はありましたね。
ただ、冒険活劇でありながら、〝手に汗握る〟感もなく淡々と観れたのが、今回の作品の真骨頂なのかな、と思ってます。

観終わって率直に思ったのが、映画の内容云々の前に、82歳になる宮崎駿監督が5年以上掛けて長編アニメーション映画を制作し、またこの空想物語を頭の中で構築出来るだけの想像力の飛躍というか、それだけのモチベーションがある事に驚かされました。

あと、映画のタイトルと監督のイメージから、「説教くさい映画なのでは」と思っている方がいれば、説教は一切ないです、安心して下さい(笑)


今回の作品、ただでさえ事前情報が一切無い状態の中で観る事を強要されるわけですが(爆)、それだけに映画の内容を理解しようと思えば思うほど、「よくわからん」作品というか内容になっているように思います。

んー

いあ、ストーリーは「これこれこうで」とか「きっとテーマはこれで」みたいな事は感じ取れるし、なんとなくでも説明は出来るんですよ。

ただ、観終わった後、、、観ている最中もですが、「これは、どういう事?」、っていう疑問が、色々と出てくるんですが、なんかその辺り、「観てる人に適当におまかせします」的な具合で、説明もなく進んでいくんですよね。

簡単に言ってしまえば、作品中に説明が無いんです。

これまでの宮崎駿監督の作品であれば、なんだかんだいっても、ちゃんとそこそこの部分までは作品中で描写なり台詞なり演技で説明してくれているんですよね。
今回、それがあまり感じられないんですよ。

観終わった後で、「あれはどうなってんだ」とか「あの描写、なんでなんだろう」とか、わからん事が多いんですよ。
まあもちろん、どの作品であれ1回や2回、観たり読んだりしたぐらいで色々と作者の意図する深いところまで理解出来るわけでもないんですが、それにしても、という感じ。


で、思うんですけどね。

今回、事前情報も一切出さないし、プロモーションも一切しない。

結局、スタジオジブリにしても鈴木敏夫プロデューサーにしても、宮崎駿監督本人にしても、外部の人間に作品を〝説明〟する必要が無いんですよね。

〝なんたら製作実行委員会〟でもあれば、そこのお金持ってるお偉いさんに説明する必要もあるでしょうし、その他のプロモーションやる度に説明しなくちゃいけない。

説明しようとすると、宮崎駿監督本人の頭の中の妄想・空想を、とりあえず素人が理解出来る単語と文章に変換しないと伝えられないし、そうする事で妄想・空想が〝ありきたりな言葉〟で現実味が出てしまい、その範囲で作品作りをしていかないと、「説明と違う」って話になってしまう。

でも、今回は、そんなプロセスがほとんど無かったのかなあ、という。
説明する必要が無いんだもん、宣伝も何もしないから。それこそ、鈴木敏夫プロデューサーにすら説明する必要もない(笑)

100%、宮崎駿監督本人の頭の中の妄想・空想が、今までのどの作品よりもダイレクトに落とし込まれているとしたら、そりゃ、そもそも他人が理解しようなんて無理な話なんですよね(笑)

そういう意味では、なんだろう。。。少なくともエンターテイメントみたいなポジションじゃないと思うし、どちらかといえば小説とか絵画とか、そんな世界。

単純に芸術作品、という見かたの方がシンプルな気がしています。


で、ここからは、個人的な疑問。
あ、ここからは、更にネタバレになるので、とっととページを閉じて下さい。

主人公・眞人の〝母親〟は本当に死んだのか

最初、アオサギは主人公・眞人を連れ込むエサとして嘘をつきますが、後半のほぼラスト、ヒミが眞人とは別の扉で元の世界に戻る時、ヒミが後に眞人の〝母親〟になる事実が判明し、眞人は「(映画の冒頭、火事で母親が死んでしまう)火事で死んでしまう」と。それにヒミが笑みを浮かべながら「火は楽しいよ」みたいな台詞(正しい台詞、忘れたw)を言うんですけど、確かに〝下の世界〟でヒミは火を操る術を持って、炎の中でも平気なんですよね。
元の世界では、その能力も無くなって、やはり火事で死んでしまっているのでしょうか。

キリコの正体

〝下の世界〟で出会うキリコは、主人公・眞人と同じ頭の部分に傷があるんですが、その意味するところとは?
また、はの『墓』は、なんだったのでしょうか。

ナツコとヒミ

そもそも何者なんでしょうね。
元の世界では、眞人の母親の久子がヒミであり、母親が火事で亡くなった後に再婚する相手が久子の妹であるナツコ。
ナツコは自分の意思で〝下の世界〟に戻り、姉妹であるヒミ(久子)と会うわけですが、ナツコは〝下の世界〟に戻っても大人の女性として描かれているのに対して、ヒミは眞人と同年代の少女として描かれている。
ナツコを連れ戻そうと、やっとの思いで辿り着いた眞人に、「あなたなんか嫌い」(これも正確な台詞、忘れたw)と、たぶん嘘だと思うんですけど、そんな強い口調で追い返そうとする。それは眞人に危険が迫っているからなのはわかるんですが、ラストのシーンでは自ら元の世界に、ひょいひょいと眞人と一緒に戻ってて、「あれ?」と。ナツコさん、自分の意思で?〝下の世界〟に来たのに?、と。

鳥人間

〝下の世界〟にいる鳥人間、「ここ地獄」という台詞をいう老ペリカンが言うんですが、自由の象徴のはずの鳥に、自由が無いように感じますし、なんか食べてるシーンが多くて、妻曰く「餓鬼っぽい」と。
元の世界に戻った鳥人間は、普通の鳥になって飛び立っていくので、そこに自由があるのかな、と思ったり。
ただ、その元の世界に戻った鳥達のシーン、ラストと、ちょっと手前で2回ほどあるかと思うんですが、どちらも人間に鳥のウンチが沢山とついている描写なんですけど、これ、なんか意味あるのかな、と。

大叔父様

「おまえ、誰やねん」とw
眞人に自分の意思を継いでもらいたいと思っているようだけど、あの〝13個の積み木〟とは、何を表しているのかな、と。
そして、あの〝石〟の正体、なんなんでしょうね。

宮﨑 駿

よくよく見ると、〝宮崎 駿〟じゃないんです。
〟ではなく、〝〟なんです。
読み方も、〝ザキ〟ではなく、〝サキ〟と呼ぶのでは、と。
これの意味するところとは。


こんな疑問も、「まあ、自由勝手気儘に、個人好きなように解釈してね」という事なのかもしれません。

こういう説明しない映画を、楽しいと思えるか、どうか、という作品なんじゃないでしょうか。

さてさて。
今後、例えば『絵コンテ集』とか、関連資料やグッズ等々、情報がアップデートされていくのか。それとも、まるで作品公開自体が無かったかのようなぐらい、情報無いままに映画公開も終わり、人の記憶から消えていくのでしょうか。

今までのようなジブリ作品的な大ヒットする映画とも思えないので、気になっている方は早い目に観に行かれた方が良いかもしれませんね。

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