Netflix『新幹線大爆破』(Bullet Train Explosion)

5.0
Movie

遅ればせながら、1975年の東映オリジナル版『新幹線大爆破』(リンク先はNetflix)、2025年のNetflixリブート版『新幹線大爆破』、両方を観ました。

映画は嫌いじゃないですが、アレコレと積極的に観に行くタイプでもなく、何か機会があれば、っていうぐらいなので、オリジナル版も含めて『新幹線大爆破』という映画の存在も、今まで知りませんでした。
つい最近、これまた遅ればせながらNetflixで『地面師たち』を観終わっていた流れで、「話題らしい」という感じで、リブート版『新幹線大爆破』に辿り着いた、という感じです。

なので、そもそも『新幹線大爆破』について、何一つ予備知識もなくオリジナル版とリブート版を観ました。

どちらも良い映画で楽しめました。
どちらが良い悪いというような評価も、そもそも論として自分に予備知識も無かったので、そんな事は一切気にせずに観れましたし、扱っているテーマも結末も違うので、結論としては「どっちも素晴らしい」という感じです。

あと個人的には、鉄道メインで日本一周一人旅をしたぐらいの、プチな〝乗り鉄〟人間でもあるので、その辺りの鉄道モノとしても面白かったです。

さて。
以下は少々ネタバレありで、思った事をツラツラと書いていきます。

リブート版は、リメイク作品であると同時に続篇的要素が組み込まれた仕上がりになってますよね

新幹線という密室と〝止まれない〟という絶望感、そんな危機を間一髪の判断と対応で切り抜けていくスリリングな部分は、オリジナル版のリメイクといえるし、1975年代では不可能だった数々のVFX技術と、当時より格段にレベルアップしたミニチュアによる特撮で、オリジナル版にもあった〝見せ場〟を昇華させてる。

更に救出作戦でオリジナル版では「素人考え」と一蹴された、走りながら車両を切り離して、そこに救出車両を繋げて脱出するという計画も、このリブート版では見事に実行するという、オリジナル版を知っている人には「マジか」と驚く展開が待っていますよね。

更に言えば、この〝オリジナル版では実行しなかった救出案〟に対して、リブート版も〝実行はできなかった救出案〟が、ちゃんと存在しますよね。この流れも〝対〟になっていて面白い。

その反面、なぜこの事件が発生したのか、動機は?、犯人は?、という部分には続篇的要素が入って、50年前の1975年に発生した【ひかり109号事案】(オリジナル版)が深く関係している。
オリジナル版の1970年代、日本の高度成長期の中でありながらも、オイルショックや過激思想から発生した事件(よど号ハイジャック事件とかあさま山荘事件とかありましたね)もあって、東京オリンピックと70年の大阪万博と続いた経済成長への不安、一億総中流と言われながらも、その格差がオリジナル版の根底に流れていると思うんですね。

今でこそ新幹線は、一般的な交通手段という認識ですけど、1970年代って新幹線への憧れって、もっと強かったと思うんですよね。新幹線に乗る人って、中流以上というか、誰でも乗れる時代ではなかったと思うんです。
オリジナル版の犯人グルーブも、高度成長期の流れに乗れず落ちていき、今のような社会的なサポートもなく、そんな中で犯行に至るストーリーが強く描かれていると思います。

それから50年が経った2025年。
リブート版では、犯人は爆弾が取り付けられた新幹線に乗っている、まさかの女子高生。そして、その父親は50年前の【ひかり109号事案】の捜査に関わっていた元刑事。
その父親が、【ひかり109号事案】の犯人の一人である古賀勝を射殺し、新幹線の安全を守ったの俺のおかげという嘘の自慢話(古賀勝は警察に追い詰められて自らダイナマイトで自爆死をしているシーンは、オリジナル版で描かれている)や、自分の娘に虐待を繰り返し、それを知りつつも顔色を窺ってくるだけの周囲の大人達にも失望していたところへ、古賀勝の息子であり、嘘を広める元刑事に復讐を考えていた男と出会い、事件へと繋がっていく。

オリジナル版からの50年の時を超えた復讐劇であると共に、人と人のリアルな繋がりが希薄になった現代の中で取り残されていく人を描いているように思うんですよね。

1970年代と、ネット社会の2020年代。
どちらの時代にも取り残された人達が苦しんでいる、というのがこの『新幹線大爆破』のテーマだとは思うんですよ。

で。
この2作品を観終わって、まずオリジナル版なんですが。
確かに乗員・乗客の全員は助かるんですが、、、

ですが、、、

「いあ、誰も助かってないよな」という、暗い気分になったんですよね。

ハッピーエンドかと言うと、ちょっと遠いな、と。

で。
リブート版を観終わった時にはね。
もちろん、オリジナル版同様に乗員・乗客の全員は助かるんですが、、、

「あぁ、みんな助かったよね、そうだよね」という、少なからず、そういう気持ちには持っていってくれる。

けっして手放しには喜べないけど、考えられるハッピーエンドになってると思うんですよ。

そういう意味では、リブート版ってリメイクや続篇っていうよりも、オリジナル版へのアンサー、答えです、みたいな雰囲気を感じるんですよね。
50年越しに、こんな答えを出してみました、という。

50年前に〝救えなかった〟ものを、ちゃんと〝救いました〟よ、という。

そこは結末が、ある意味で真逆になってる、というのが象徴しているように思うんですね。

オリジナル版では、犯人グループの3人は全員死亡してしまう。
一人は警察からの逃亡中に事故で死亡、一人は警察に追い詰められて自爆死、一人は警察に射殺。
そして、最善を尽くして人命救助に当たった、国鉄の運行現場の責任者である運転指令長は、乗員・乗客の全員救助という結果とは裏腹に、自分の立場が利用され、更に上からの権力に抗えなかった事を悔い、辞表を提出する決断をする。

リブート版では、犯人である爆弾を製造した男と女子高生、二人とも警察に逮捕される。
JR東日本の運行現場の責任者である総括指令長は、救出成功後、淡々と通常業務に移行する。
そういえばリブート版で、赤ちゃんを抱いたお母さんが不安そうに、車掌に話しかける場面があって、軽く赤ちゃんへカメラが寄るんですけど、これもオリジナル版では救えなかった事に対する、アンサーみたいな気持ちにさせてくれる。

なんかね、真逆なんですよ。

終わり方としては、オリジナル版の方が強く印象に残るとは思うんですよね。
リブート版では、事件の解決後、日常が戻る、という淡々さがある。

ここが凄く良いなと思ったんですよね、両作品の。

リブート版で、個人的に好きなシーン。
オリジナル版同様、前半の見せ場である、逆線運転、〝はやぶさ60号〟を下り線に入れ替える作戦。
新幹線総合指令所の総括指令長から「105キロまで落とせ」という無茶振りに、はやぶさ60号の松本運転士が「危険すぎる」と反論するシーン。
オリジナル版だと、運転士役の千葉真一さんが、同じように反論、それも怒鳴りつけるように言うんですが、リブート版では反論は一言だけで、その後の松本運転士、、、もとい、のんさんの顔が「ぶちキレ」てるんですよ(笑)

「うわ〜、めちゃ怒ってるー」っていうw

あと、同じ流れで対向する〝こまち27号〟。
映画の八戸駅を通過する際、「駅校内は時速75キロ以下に制限されている」というような会話があって、次にこの盛岡駅のシーンで〝こまち27号〟が通過する際、爆弾を仕掛けられた〝はやぶさ60号〟と1秒でも早くすれ違う必要がある為、「320キロを維持」という流れで〝こまち27号〟が盛岡駅ホームに突っ込んでくる。
事前の台詞の流れだけで、盛岡駅ホームに突っ込んでくるシーン自体、本来は75キロ以下の運行が義務付けられているところを、時速300キロオーバーのトップスピードで走り抜けていくシーン、、、さりげなく「ヤバくね?」っていう絵面になってるのが、かなりグッと来ましたねえ。

あと。
これもオリジナル版同様の見せ場、新幹線同士が並走する場面は、むしろオリジナル版の方が「この絵面、ミニチュアの特撮とはいえ、頑張ったよなあ」と、改めてオリジナル版の凄さがわかりました。

そして最初の方にも書きましたけど、オリジナル版だと〝案〟だけは出たものの実行されなかった救出作戦が、リブート版では見事成功するというのも、なかなか楽しめるシーンなのではないでしょうか。

リブート版のラスト。
残された車両からの救出作戦は、1車両4メートルにもなる1/6スケールの新幹線ミニチュアや150メートルほどあるらしいレールを使用した、渾身の特撮+VFXなシーンが待っています。

とまあ。
なかなか楽しめた2作品でした。

リブート版を最後まで観終わったら、誰しもきっと思うはずです。

「はらヘッタな」、と。

P.S.
樋口真嗣監督のインタビュー記事は、こちらが面白かったです。

P.S.
初めて知ったのですが、オリジナル版を撮った佐藤純弥監督って、『植村直己物語』の監督でもあるんですね。
個人的になんですが、『植村直己物語』を観た事が切っ掛けで植村直己さんに興味を持って(冒険家ぐらい、名前ぐらい知ってる程度でした)、植村さんの著書とか読んで漠然と「12,000キロって日本一周したらいけるかな」と思ったのが、鉄道メインで日本一周一人旅する動機になってるんですよね。
この映画を観てなかったら、日本一周なんてしてなかったと思う。

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