音楽が嫌い (後篇)

Diary

(写真は2007年、初めて人前でモジュラーシンセを使って音を出したシンセ・フェスタ。司会の氏家さんにインタビューされる私)

note”からの転記。


モジュラーシンセと出会ってから、意気揚々と引き蘢り生活ですよ。
趣味とコンビニ以外で外出は云々ぐらいの生活までいきたかったですけど、生活費を稼ぐ為に仕事へ行くぐらいはヘタレでした(何?)
 
そしてモジュラーシンセが徐々に増殖してくるわけで、そうなってくると、それ以前から所有していたシンセの出番が無くなってくるわけです。そこで、一度モジュラーシンセ以外の大半の機材は売って、手放してしまおう、という流れになった。
といっても、買い取りしてくれる店があるかなんてよくわかりません。
 
最悪、ソフマップかな(笑)と思いつつ、ネットで検索していると、とあるお店を発見しました。
 
『implant4』
 
はて、こんなお店、、、何時から有ったっけ。。。
という感じでしたが、なんと!!
自宅から近い、それも自転車圏内(爆)
 
取り急ぎ、お店へ伺ってみました。
いやぁ、なんというマニアックなシンセ専門店なのでしょう。
これなら安心して買い取りしてもらえそう、という事で、色々と機材をimplant4さんに買い取って頂きました。
 
で、そのお金でimplant4さんから中古を買ったりして、機材が入れ替わっていきました。
 
それ以来、implant4さんには、何を買うわけでもないのに、会社帰りとかにもよく立ち寄るようになりました。
 
そして、このimplant4というお店との出会いが、この先の運命を大きく変える事になっていくとは、この時には知る由もありませんでした。

 
implant4さんへ遊びに行くようになって、シンセ好きな常連のお客さんとも、色々と知り合うようになりました。
沢山の方々と出会う事になるのですが、のちに〝REON〟というシンセブランドを立ち上げる事になる、荒川さんともimplant4さんで出会う事になりました。
当時は、まだREONというブランドは存在してなくて(構想はあったと思います)、Moog IIIcのフルコピーのモジュラーシンセを製作中の頃でした。
2019年9月末日をもって、56年の幕を閉じた梅田ナカイ楽器の片山さんと再会したのも、implant4でした。
 
そんなこんなで、implant4さんへ遊びに行くようになった翌年、大阪で『シンセ・フェスタ』というイベントの開催が決まりました。
東京と大阪で、1年毎の交互に開催されていたシンセ系イベントで、旧JSPAが主催されていました。
 
これまでに2回ほどシンセ・フェスタには遊びに行った事があったのですが、東京開催に比べると規模も小さく、正直期待外れな感じもあったので、今回は特に遊びに行く事も考えていませんでした。
 
が、とある日にimplant4さんへ伺うと、お店として出店する事になった、という話を伺ったのです。
所謂、〝ヴィンテージ・シンセ〟コーナーの担当店舗として参加して欲しいという打診があったそうでした。
 
まあ、それなら、、、メイン会場の方には興味無いけど(爆)、implant4さんが出店するなら、ぶらり遊びに行くかな、と軽い気持ちでした。
そして、ちょうどタイミングよく、荒川さんのMoog IIIcクローンのモジュラーシンセ・フルセットが完成していて、こちらもimplant4さんのブースで展示される事が決まりました。
 
またまた時を同じくして、シンセ・フェスタ主催側から〝シンセ・パフォーマンスコンテスト〟参加者募集、という告知が出ていました。
オリジナル曲を応募して、1次審査に合格した人は、シンセ・フェスタ当日のステージで演奏して優勝者を決める、、、という、まぁ、よくありがちな余興イベントですよね、そういう企画の募集が始っていました。
 
そこで、、、フト、、、
良からぬ事を思い付いたわけです。
 
implant4さんが出店するし、荒川さんはモジュラーシンセを展示するし、、、
 
ここは一つ、私もモジュラーシンセで何かしら音を録って、コンテストに応募してやろう、と。
 
全くの冗談でした。
その頃、モジュラーシンセ単体、それだけで楽曲という構成や単位、まして演奏という行為なんて想像もしていませんでしたし、そもそもそういうのが好きでは無かった(センスが無かった)から、モジュラーシンセを使っていたわけで。
なので、もう本当に冗談のつもりで、自宅でひたすらランダムに流れている電子音を規定時間内で録音して、CDに焼いて応募したんですよ。
オマケにMIDI検定をしていたJSPA主催イベントに対して、備考欄に「No MIDI!!」とか書いて、もう喧嘩売ってんのか、という始末です(爆)
 
遊び半分で垂れ流してる電子音を録っただけで、それは曲でもなく演奏でもないわけで、本当に冗談のつもりでした。
 
が、
 
冗談で済まない事態になったのです。

 
携帯電話に電話がありました。
 
「リットーミュージックの○○と申しますが、、、」
 
はぁ??????
なして、私にリットーミュージックから電話が?、と思った瞬間、、、
 
「シンセ・パフォーマンスコンテストの1次審査に合格致しましたので、当日の演奏は可能でしょうか」
 
工工エエエエェェェェェヽ(゚Д゚;)ノ゙ェェェェエエエエ工工
あまりの唐突さに、なんて応えて良いのかもわからず、やっと返答したのが、、、
 
CDと同じ事は出来ないんですけど
 
でした(笑)
 
そうなんです。
そもそも適当にデタラメにランダムに垂れ流した電子音を録っただけのシロモノなんですよ。
それに、モジュラーシンセ自体にメモリー機能なんてありませんから(一部のみメモリー出来る仕様は存在しますが、全体をメモリーして再現するのは不可能)、CDと同じ再現なんて根本的に無理なんです。
 
「全然大丈夫ですので」
 
あ、そうじゃなくて、私が大丈夫じゃないんですよ。。。
 
これは困りました。
自宅でモジュラーシンセを眺めながら、どうしたもんかと。
 
好き勝手にひたすら好きな音を作って垂れ流してるのが凄く面白くてストレスが無くて、それで使い続けて来たわけですよ。
それが、今度は人前で音を出さなくちゃいけない。それも、曲というか演奏というか、そういうスタイルというか、言い訳程度でも雰囲気だけでも、そんな感じにしなくちゃいけない。
まぁ、今となってはそんな型にハマったスタイルをやる必要なんて皆無なんですが、なんせ今から10年以上前の話で、先例なんて無いような頃でしたから、何をどうしてよいのか見当もつかなかった。
 
悩んだあげくに、思い付いたのは〝白衣〟を着る、という。。。
いやそれ、音とか音楽と何の関係も無いし、ただのコスプレじゃねーかよ、っていう話なんですが。
まあ、もうそれでウケて、ちょっとでも笑いが取れれば、それで良いか、という。。。
 
でも、モジュラーシンセと〝白衣〟には元ネタがあるんですが、それはまたの機会にでも。。。

 
さあ、当日です。
 
自宅でゆっくり好きなだけ時間を使って音を出しているのは気楽なもんですが、今回は違います。
限られた時間で準備をしなくちゃいけません。
もちろん、モジュラーシンセを外へ持ち出して音を出す、それも不特定多数の人前で、なんて全てが初めてず。
私の知ってるシンセ界隈でも、こんな事をしてる人の話なんて、聞いた事もありません。
 
早い時間帯からステージに入らせてもらって、端でパッチングして準備をしていました。
ちゃんと本番で思うように音が出るのか、凄い不安でした。自宅で気楽に使っている時でも、ちょっとした接触とかで音が途切れたりフレーズが変わってしまったりが普通の機材でしたから、現場一発勝負みたいな状況で大丈夫なのか、という不安だけで頭がいっぱいでした。
 
そう考えたら、YMOなどがモジュラーシンセひっさげて国内外をライブで巡っていたなんて、本当に考えるだけで背筋が寒くなりました。
 
そんな準備している最中、背中から声が掛かりました。
後ろを振り向くと、松武秀樹さんがいました。。。そう、YMO第四のメンバー、松武さんその人です。
 
あわわ、ってなってると。
 
「僕も基本セットは持ってるんだよね」って。
 
っていうかさ、、、このコンテストの審査員の一人が、松武秀樹さんなんですよ。
さらに、元カシオペヤの向谷実さんとか。
どうすんですか、これw
 
なんとか準備も終わって一段落、という感じで楽屋へ戻ると、向かい側から、何やら見覚えのある女性が歩いて来ます。
 
?
 
向こうも私を見つけて、「?」という感じになります。
 
そして、、、
 
「あー、あれ。こんな所で何してはりますの???」と。
 
う、思い出したw
私が以前に勤めていた会社に、グラフィックデザイナーとして出入りしていた方がいまして、その方の仕事関連は私も携わっていました。
その方はバンド活動をされていて、テルミンを演奏される方で、その頃に一度ライブを観に行ってたんですよ。チンタムーというバンドをやっていた頃でしたね。
 
そう、歌って踊れるテルミン奏者、フェイターンさんでした。
 
なんという偶然の再会。
それも、こんなところでw
 
フェイターンさんも〝マコフェイ〟というユニットで、コンテストに参加するとの事でした。そこでユニットの相方である白マコさん、サポートで入っていたヤマダブさんと出会うわけです。
 
さて、いよいよ本番です。

(2007年、シンセ・フェスタ)

モジュラーシンセがステージ中央に運ばれ、、、白衣姿の私が登場すると、ちょっと笑いが起きました。
良かった、本当に良かったと思いました。だいぶ気が楽になった事は、今でも覚えています(笑)
白衣のポケットからパッチケーブルをぶら下げていたのですが、これはYMOへのオマージュのつもりでした。
 
紹介をされた後、いざ最初の1音、音を出すぞと、手元ミキサーのフェーダーを上げる。
が、、、
音が出ない?!?!
 
えぇぇぇ、、、、いきなりかよーーー
 
すげー焦るんですけど、手元のミキサーみたら。レベルは上がってるんですよ。
アレ、と思ってステージ横に設置してあるPAブースの方を見たんですね。
 
すると、PAされていた方が「ん?」って感じになって、フェーダー上げたんです。
たぶん、上げるフェーダーのチャンネルを間違えていたのだと思います(笑)
 
実は、そのPAされていた方が齋藤久師さんでした。
 
本番で何をどうやったかなんて覚えてませんが、既にこの頃からステップシーケンサーを自己発振させて、みたいな方法論は多用していました。たぶんこの時も、やっていたと思います。
 
7,8分程度の持ち時間だったと思うのですけどね。
終了して、司会が氏家さんだったんですけど、流石に向谷さんは興味無しって感じだったので(爆)、そこは上手い感じに氏家さんが司会進行されて、審査員の方から色々と質問された記憶があります。
凄く覚えているのが、松武さんが「シーケンサー、面白い使い方してるね」という感想。もしかして、シーケンサー自己発振とかやっていた事に気付いていたのかな、と思ったりしました。
 
まあ、優勝はフェイターンさんのユニット〝マコフェイ〟だったんですが、色々と楽屋落ち話もあって、楽しかったですよね。
 
コンテスト終わってからは、訪れていたお客さんから色々と声を掛けられました。
 
その中に、京都在住の電子音楽家b_tさんもいました。
 
「近々イベントの企画があるから、その時は出てよ」って言われました。
まぁ、その時は本当にお誘いが来るとは考えていませんでしたが。。。
 
とにかく、なんとか無事に終わったのでした。
 
冗談から始って、モジュラーシンセ引っ張り出して人前で音を出す、っていう事をするハメになってしまったわけですけども、ここでの出会いが、今後の活動に決定的な影響を及ぼす事になるんです。

 
松武秀樹さんと齋藤久師さんとの出会い。
まさか、こんな形でYMOに重要なポジションで関わって来られた方と出会うとは、思ってもいませんでしたしね。
松武さんとは、2年後のシンセ・フェスタでも御一緒させて頂いたり、シンセ道場やDOMMUNE/KANDA INDUSTRIALでも御一緒させて頂いたりしました。
また、齋藤さんもgalcid含めて大阪や京都、東京で御一緒する機会があったり、DOMMUNEのお話しも齋藤さんからのお誘いで実現しました。
 
再会する事になった、フェイターンさん。
話してみるとヤマダブさんはご近所という事もあって交流も始って、マコフェイの2nd.アルバムのレコーディングに参加する事にもなって、そこでミックスエンジニアされていた天空オーケストラのkabamixと出会えたり、アコースティック系の演奏者の方々と沢山と出会える切っ掛けにもなりました。
また、その後のフェイターンさん主催イベントで生方さんと出会う事にもなって、それ以降で生方さんのライブツアーで何度か出演させて頂いたりもしました。
そういえば松前さんを紹介してくれたのもフェイターンさんだったような記憶があります。

(2008年、フェイターンさん主催『Synthe-Kai』。本格的なライブ、2回目)

そして、京都のb_tさん。
本当にイベント企画してライブに誘って頂きました。
その時に出演していたメンバーが、強力無比なメンバーで強い影響を受ける事になるのですが、、、
ピカルミンのKaseoさん、ミン楽器のRAKASU PROJECT.さん、フジタダイスケさん、Cubeさん、KAiTOPさん。そしてお客さんとして来られていた西田彩ゾンビさん、オヒサマさん等々。
後々、京都の電子音楽シーンで色々とお世話になる方々ばかりでした。

(2008年、b_tさん主催『beat palette mixture VOL.3』。本格的な初ライブとなった)

この最初の、大きく分けて三つの出会いが、その後のより幅広い人達との出会いに繋がって行きました。

 
そして、ライブ出演のオファーも、ぽろぽろと舞い込んで来る感じになりました。
 
適当に好き勝手な音色を垂れ流す、というだけでは意味が無いし、人前でやるわけだし、ましてそのお客さんはお金払ってるわけです。
例え私個人にギャラが無くても、そこはもう「冗談なんで」は通用しないと思いました。
モジュラーシンセだけでライブをする、という事に対して色々と想いを巡らす事になっていきました。
 
それから、当時はまだ心斎橋にあった、nu-thingsと出会うわけです。
残念ながらお亡くなりになってしまったけど、阿木譲さんがオーナーのお店でした。
今でも覚えているのが、私のライブを初めて観た阿木さんが、「君はリズムが駄目」と、初対面でいきなりダメ出しされた事です。いや本当にその通りで、逆に私のような経験浅いライブにも、しっかり耳を傾けていたのか、と思った次第でした。
nu-things時代では出演にノルマがあった為、本当に厳しかったし、現実を突きつけられました。自分の力で、自分目当てのお客さんを呼ばないと、例えフロアに沢山のお客さんがいてもカウントされないのですから。
ライブのノルマには賛否両論ありますし、そりゃ本来はノルマなんて無い方が良いと思います。
 
が、nu-things時代でのノルマの体験は鍛えられたと思うし、その後のイベントに向き合う姿勢は変わりましたよ。
 
nu-thingsでは。二十代の若い人達とイベントに出る事も多く、そういう人達と知り合えたのも良かった。
阿木さんとも、その後は仲良く?という表現が正しいのか不明ですが、お世話になりました。

(2010年、nu things JAJOUKAでの初ライブ『Are You Sequenced?』)

 
音楽が嫌いだったはずの人間が、どうして人前でライブをするようになって、更に音楽イベントまで企画するようになったのか。
 
結局、、、これはまあ、私の場合ですが。
 
音楽に影響されて音楽を好きになったわけでもなく、イベントを企画するようになったわけでもないんですよね、振り返ってみると。
 
そこには、常に人との出会いがあって、そこからまた違う広がりを持つ人との出会いがあって、どんどん広がっていった。
もうそれは、ある意味で私の意志とは関係無いといえる感じで、広がって行った。
そして、人の繋がりに身を任せて流されるがままに流されて、今がある。
 
気がついたら、こうなってた(笑)
 
ただ、〝その時〟に〝そこにいた〟という偶然なのか必然なのか、わかんない出来事から生まれた人の繋がりが全てであり、それ以上のものは無い、という事なんだろうな、と。
 
それは今も続いている。
 
あの高校生の時に、好きでもない吹奏楽部の定期演奏会にいって、「雰囲気が良かった」と思ったのは、たぶん音楽がどうのこうのではなく、部員達の人としての繋がりだったり、そこから生まれてきた〝雰囲気〟を、何か感じていたのかもしれない。
 
まあ、なんにしても。
未だに曲すらまともに作れない、持ち曲ゼロみたいな人間がライブで人前で演奏出来る事に感謝ですよ(笑)
 
ほんの冗談と人との出会い、それは思っても見ない方向に人生を動かしますね。
 
冗談もほどほどに。
怖い怖い(爆)

コメント