テクノを語る(1)

テクノテクノと言っているBlueなので、テクノについて語ってみようかなと思います。
RMS音楽教室に通い始めて、かれこれ12年になりますが、未だ「テクノやります」と言って、テクノをプレイした人に出会った事がない(^^;;
YMOや電気グルーヴとかが好きで、そういうのをプレイした人は、チラホラとはいましたが。けっこう好きで聴いている人は案外、多いとは思ってるのですけど。
さて、テクノなんですが、音楽のジャンルとしては摩訶不思議な位置にいます。


どういう音楽スタイルがテクノなんだ?、、、となると、とても曖昧になって来ます。シンセサイザー使ってればテクノか?、、、と問われれば、答えはノーです。シーケンサーに打ち込みすればテクノか?、、、これもノーです。
昔、アメリカに「DEVO(ディーボ)」というバンドがいましたが(今も活動しているようですが)、彼等はほとんどシンセサイザーもシーケンサーも使ってないのに、テクノと呼ばれていました。
なんだか、とても曖昧です。
しかし、これほど好き嫌いがハッキリと分れる音楽のジャンルもありません。嫌いな人は、音楽とすら認めようとはしないでしょう。
とても曖昧なのに、好き嫌いだけはハッキリしている。
私が音楽を演奏する側になったのは、高校での吹奏楽部がスタートです。実は、テクノとは掛け離れた、とてもアコースティックな世界からスタートしたんです。でも、なぜかシンセサイザーの音が凄く好きでした。テクノとか、そういう以前に、シンセサイザーの「音」が好きだったんですね。だからシンセサイザーを多用した曲は、よく聴いてました。その頃は、全くテクノなんて意識してなかった。
テクノを凄く意識したのは、今から10年ほど前のこと。
UKの、あるテクノ・ユニットのアルバムを聴いた時のことです。
それは、ハートノル兄弟によるOrbital(オービタル)というユニットでした。
彼らの2枚目のフル・アルバム「Orbital II」(通称、「ブラウン」アルバム)。
その頃は、テクノ系のアルバムもよく買っていました。でも、「テクノ」って意識は無かった。
しかし、彼らのアルバムを聴いて、それはもう、鳥肌が立つほどの衝撃を受けたんです。
シンセサイザーと打ち込みがメインで構成された、もちろん、テクノらしいテクノなんです。しかし、衝撃的だったのは、そのサウンドが、人間がアコースティックな楽器を生演奏するより、遥かにカッコイイと直感してしまった事なんです。
いったい、なんなんだろう。。。
軽やかにキーボーディストが鍵盤楽器を弾いているわけでもなく、力強くギダーリストが弦楽器を奏でているわけでもなく、ドラマーが軽快なリズムを刻んでいるわけでもない。
そこには、完全無比な打ち込みによって、緻密に作られたシンセサイザーの音だけで構成された楽曲があるだけなんです。人間の気配なんて、皆無なはずなんです。
しかし、彼らのサウンドは、躍動感と臨場感、今、目の前で人間が作り出しているという、そんなサウンドなんです。
正直言って、この時、「人が楽器の演奏するのって、カッコワルイ」、「人の演奏より、こっち(テクノ)の方が、とても人間的」と思ったほどでした。
これが、テクノかっ!!!
衝撃でした。
それ以来、テクノの虜です。
そして思うわけです、テクノって、結局はサウンド、「音」そのものなんだなぁ、と。
人が存在してるかしていないか、楽器があるかないか、メロディーがあるかないか、コードがあるかないか、リズムがあるかないか、、、
一般的な音楽の常識の枠を超えて、とても単純明解に、「音」として存在してるかどうか、それがテクノなんだなぁ、と。
演奏という行為も、結局は「音」を奏でる手段の1つにしか過ぎないと思うんです。
もし、演奏という行為に捕われずに、自由に「音」を奏でる事が出来たとするならば、それはどんな世界が待っているのでしょうか。
テクノは、そんな世界を体験できる音楽なんじゃないかと思ってるんです。
人間の思想と音が直結した時、それはテクノなのかな、と。
P.S.
そんなオービタルも、今年で活動休止。少し残念ですけど。

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