やっと曲、完成

去年の12月に引き続いて、今週末4/17にRMS梅田センターにて、ミニ・コンサートがあり私もPAスタッフ兼演奏者として参加する予定です。曲はこちら
演奏といっても、相変わらずのテクノなので、所謂「楽器の演奏」はしません。
シンセサイザーのパロメータやミキサー、PC上のVST設定などをリアルタイムで変化させていくパターンです。シンセサイザーに鍵盤がついていると、思わず10本の指で演奏したくなるじゃないですか。鍵盤あるから、当たり前と言えば、そうなんですが、、、しかし、これって、凄く「音楽」という表現を狭めているような気がするんですよね。
鍵盤って、音を出す1つの手段にしか過ぎないわけで、特にシンセサイザーって元々は鍵盤なんて無かった。後で、便利だからとコントローラーとして鍵盤を付けただけなんですよね。だから、鍵盤楽器としての歴史なんて無い。
たぶんね、どんなに鍵盤で演奏しても、シンセサイザーの魅力って、伝わらないと思う。そんな演奏方法では、今のエレクトーンとたいして変わらないんだよね。
細野晴臣さんが「スケッチ・ショー」やる時に、、、


ずっとプレイヤーやっていたから、なかなか新しい発想が生まれなくてね、弾けるのも良し悪しだね。
これ、なかなか面白い意見だと思った。
元々、凄い面子だったYMO、しかし、凄い演奏をしていたわけじゃないよね。あえて、シーケンサーに音出しさせる事によって、今までにないサウンドを作り上げたわけですから。普通に演奏しちゃうと、とても普通になってしまう。
「スケッチ・ショー」インタビューで、、、
(LIVEを観て)あまり演奏されていませんね、、、という問いに、
若いコは楽器の演奏って、やんないでしょ。だから、(演奏について)気にしてないんだよ。
うーん、いいですね、こういう意見。
バリバリなべーシストの細野晴臣さんと、クールなドラマー高橋幸宏さんが、そういう事を言ってしまう。
結局、「演奏」も音を出す1つの手段にしか過ぎなくて、音楽にとって必ず必要というものでもないと。
頭の中では、とても素晴らしい音が鳴り響いている人が、もし「演奏」という行為が音楽の全てであったなら、その素晴らしい音は、誰も聴く事が出来なくなってしまう。
テクノはさ、ここのところ、つまり純粋に「音」のための「音楽」なんだよね。「演奏」にテーマを置いてない。
これって、本来の「音楽」だと思わない?

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