2000-1/17日記

また休日出勤だわよ、んでそのまま徹夜して夜勤だわよ。最悪も、ここまで来ると表彰モノだわね。
今日、阪神淡路大震災が起こった日ですね。私は大阪市内なので、停電ぐらいの被害で済んだのですけども。。。震災当日は、もちろん寝ていました。で、「部屋の中が騒がしい」って感じで、目が覚めました。で、とっさに揺れ動く本棚とタンスを抑えてましたね。たぶん30秒ちかく揺れていたと思います。今までに体験した事のない、まるで遊園地の乗り物に乗っているかのような、激しい横揺れでした。揺れが止まるまで地震だって考える余裕さえ無かったです。


ステレオの時計を見ると消えている、停電だなと判断。すぐに携帯ラジオを用意する。ラジオでは、大きな揺れだったが被害は少ない模様と放送していた。隣に住む御夫婦が高齢なため様子を見に行くと、タンスが倒れていたので元に戻す。幸いにも、その部屋では寝ていなかったので、ケガはなかった。
家に戻って来てラジオに耳を傾ける。。。間もなくアナウンサーが、我が耳を疑うかのような感じで、「神戸の阪神高速が横倒しに倒壊している模様、、、」と。これは、ただ事ではないなと感じる。数時間後、電気が復旧。まるで、戦争でもあったかのような神戸の街並が写し出され、唖然としてしまう。だって、ここから1時間もあれば電車で行く事の出来る街が、完全に破壊されてるんだもの。神戸に親局を置く、サンテレビだけが屋上からの静止画像を流していた。
震災の3週間後ぐらいに友人と三ノ宮に入る。普段なら1時間もあれば行ける所を、JRと阪神電車とバスを乗り継ぎ、4,5時間かかって到着。到着して実際に倒壊したビル、、、僕らが見た時には建っていたのに、数日後に倒れたビルとか。。。もう、かなり気持ち悪かったです。傾いたビルと、一見真直ぐに建ってるビル、、、実際には今いる場所の地面が傾いているので、まともに建ってるビルなんて皆無。完全に平衡感覚がマヒしてしまう。ダルマ落しになっているビルを、この目でみると寒気がします。
震災1ヵ月後、当時アルバイトしていた関係で読売テレビの音声サブとして三ノ宮へ行く。日本テレビのクルーと共に、船に乗って三ノ宮まで。報道関係の車が、まともに大阪から三ノ宮まで行けないのだ。ニュース中継のための、音声の仕込みをする。寝泊りは、港に停泊させてある船の中。他局の報道陣も同じ船に寝泊りしている。夕方のニュース中継は、小学校からの中継。行くと自衛隊が設営した簡易風呂のテントや、被災された方のテントなどが沢山。報道陣に、行政は何やってるんだっ!! と詰め寄られる場面を目の当たりにする。
、、、あれから5年ですか。。。東京方面で、震災時の体験をしようというイベントがあったらしくて、各班ごとに別れてテント設営してやるわけですけど、伝達がうまくいかずに、食事の時間や行動する時間が判らない。判らないから、伝達はどうなってるんだと、班ごとにもめているんですよね。そこに、実際に阪神淡路大震災で被災それた方も参加されててね、「(伝達が)来ないなら、自分達で独自の判断で前に進むべきでは?」っていう意見に、そこの班長は「いや、伝達をもらってから動くのがルール」とか言ってるのね。。。
午前5時46分、悪夢の時。
まぁ、、、こういう震災は、もう沢山だわね。。。

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