テクノを語る(3)

「Techno(テクノ)」という単語、語源はもちろん「Technology(テクノロジィー)」から来ているものだと思うのですが、テクノっていう音楽も正しく、テクノロジィーの恩恵と影響を最大限に受けたジャンルだと思います。
もし、ベートーヴェンやシューベルト、 チャイコフスキーなど、現代において「クラシック」と呼ばれるジャンルの巨匠達が生きた時代に、シンセサイザーやコンピュータが存在していれば、彼等は間違いなく使い倒していたように思う。今でこそ、西洋音楽の“基本”として「クラシック」というジャンルがあると思うのですが、これらの曲が作られた当時、最先端の音楽だったわけですよね。誰の真似もしない、それまでのタブーを破壊した、オリジナリティ溢れる楽曲。きっと彼等も当時のテクノロジィーから、凄く影響されていたんじゃないかな、と思う。
そう考えればクラシックとテクノ、全く相反するようで、実は凄く似ているのかもしれない。


さて、テクノロジィーの影響が音楽になったテクノですが、それを現す一番のテクノらしい部分があるのですが、それは“自宅録音”についてです。
「なんだ、宅録か」と思われるでしょう。
別にテクノでなくても、音楽を演奏・作る側を経験した事のある人なら、大抵は宅録の経験があると思います。パソコンも安くなり、MTRもカセットテープからハードディスクへと変わり、それだけでも十分にテクノロジィーの影響を受けていますよね。
でも、これらはテクノに限らず、色々な音楽制作の現場で使われているわけで、取り立てて「テクノならでは、、、」というものでもないでしょう。
「テクノならではの“宅録”」、実は宅録した音源が、そのままリリースされてしまうというところに、テクノらしい面白さがあります。
バンド等をされている方は、宅録や練習等に使用しているスタジオで録音した音源が、そのままリリースされるというのは、ちょっと想像がつかないかもしれませんね。
「え!? そんなもので良いの?」、、、という感覚じゃないでしょうか。
これ、テクノではとても当たり前のことなんです。
「テクノを語る(2)」で書いたのですが、テクノを作ってる連中って、根本的な部分で自己中心的・自己満足的な制作をしています。売れる売れない、インディーズかメジャーかという事には興味を示さないところがあったりします。自分の名前も曲のタイトルも無明記のままで平気にリリースします。時にはリリースしたレーベルの名前さえ、ありません(笑)
より良い制作をするために、レコーディング・エンジニアやマスタリング・エンジニア等の専門スタッフに依頼するのは当然のことです。しかし、お金と時間が掛かります。テクノを作っている連中は、そんな事より“自分の出したい音”、“自分の作りたい曲”、“伝えたいモノ”が形になったのであれば、次ぎのアイディアを形にしようとします。1曲のクオリティを高めるための資金と労力があるなら、次ぎの新しい曲にそのパワーを注ぎ込もうとします。
今でこそ、テクノ系のメジャーなアーティストは、最終的には各専門のエンジニアに任せる事が多いですけど、それでも大部分がアーティスト個人の世界観で作られた環境の音が、そのまま活きています。
これらの事には賛否両論があるとは思います。
自宅で閉じこもって作られた、閉鎖的な音楽だと言う人もいます。
しかし、そんな閉鎖的と言われる音でさえ、世の中に出て来た時には多くの若者が、そのサウンドに身を委ねて踊っていたりします。もし、本当に閉鎖的であるなら、このような躍動感は生まれないでしょう。

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