結果の大小より心の大小

NHKスペシャルで「ラストメッセージ」というシリーズがあって、第4集が冒険家・植村直己さんだったので、こりゃ観なくっちゃと思い、食い入るように観てました(笑)
えーと、このブログで過去に一度ぐらいは植村直己さんの事ぐらい書いていただろうと思って検索してみたのですが、なんか一度も書いてなかったみたいですね。
私ゃ、もちろん登山家でも冒険家でもありませんし、登山らしい登山も、冒険らしい冒険もした事はありません。


何時だったかなぁ、、、だいぶ昔にTVで放送された、西田敏行さんが植村直己さんを演じた伝記物語「植村直己物語」を観ましてね。たぶん、二十歳前の頃に観たと思う。
で、「うわー、なんだ、すげー、この人」
、、、って凄く単純に驚いて。
“植村直己”っていう名前ぐらいを知っていたぐらいの知識でしたし、“冒険家”ってどうもうさん臭いイメージもあったから、なんの知識も無かったんですよ。
で、直ぐに図書館で植村直己さんの本を借りて来て読んだわけです。確か、この3冊あたりだったかと。

「青春を山に賭けて」
「極北に駆ける」
「北極圏一万二千キロ」

そりゃ、もう、ますます「すげー」という状態になって(笑)
この頃、高校で知り合った友人の影響もあって、その友人達と青春18きっぷで貧乏旅行によく行っていたんですよね。
鉄道を使った旅行については、ある程度の知識とか経験とかもあった頃だったので、、、ふと思ったわけです。
「この、北極圏一万二千キロ、、、12,000キロって鉄道で一周(この時、本州一周と考えていた)したら、そのぐらいの距離になるかな」と。
早速、時刻表片手に大雑把に距離を割り出すと、、、確か8,000キロとか、そんな距離だったと思う。「えー、一万キロにもとどかないの?」とか、勝手に一人で驚いたりしていました(笑)
この時です、本格的に鉄道を使って日本一周(もちろん、北海道から沖縄まで)を考え始めましてね。
1992年に大阪より北(東)側、太平洋側から進み、最北の宗谷・利尻・礼文、最東の納沙布岬を巡り、日本海側で帰る旅。
1993年に大阪より南(西)側、日本海側から九州、最南の波照間島、四国と巡る旅。
最南の与那国島は、体調不良と台風で行けなかった。。。
それぞれ2ヵ月程度の短くて足早な旅でしたけど。
とりあえず、日本国内の各都道府県全てには足を踏み入れてますよ(^^;;
この時の大量に撮影した写真とか日記とか、保管してあります。
そうそう、この日本一周について書き物をしていて個人誌を作っていたんだよね、当時。
すごーく、ごく一部の人達は知ってるだろうけど(笑)
今は、こうやって個人でインターネットを使って情報発信出来る時代だから、この日本一周日記、、、まとめてみようかなぁ。。。膨大だからなぁ、、、記憶も遠のいているし、、、(遠い目。。。)
でもまぁ、植村直己さんを知っていなかったら、きっと単発の貧乏旅行はしていただろうけど、こうやってちょっと大きな一人旅なんて思いつかなかっただろうな。
さて、植村直己さんに関する情報サイトです。
植村直己冒険館(兵庫県)
植村冒険館(東京)
植村直己自然学校
植村直己・帯広野外学校
植村直己 (Wikipedia)
うーん、、、南極大陸縦断+南極大陸最高峰ビンソン・マシフの登頂が成功していたら、、、もしかしたら厳冬期マッキンリーには行かなかったのかもなぁ、、、と思う次第です。同じ日本人で、この夢を実現したのは野口健さんですね。
今も植村直己さんは、北米大陸最高峰マッキンリーに眠っているんでしょう、、、

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